病院について

恩賜館

当院の結核治療研究の功績により下賜

恩賜館は、当院敷地内にある由緒ある建物です。明治天皇が1875年に英照皇太后御座所(御中殿)として青山御所内に造営、1893年に麹町一番町(現在の千代田区麹町三番町)の内大臣官舎の和館として移築(後に宮内大臣官舎に転用)、1936年まで使用されていました。

当院の結核治療研究の功績が認められ、1938年宮内省(当時)から下賜され、原型のまま再築し、「恩賜館」と名付けました。

前景

床の間

欄間
1875(明治8)年
明治天皇が英照皇太后※御座所(御中殿)として青山御所内に造営
1893(明治26)年
内大臣官舎和館として麹町一番町(千代田区麹町三番町)に移築(1936年まで使用)
1938(昭和13)年
結核治療研究の功績が認められ、宮内省(当時)より下賜
1939(昭和14)年
建材をそのままいただき市川に再築。10月7日「恩賜館」竣工

※英照皇太后:/明治天皇の先帝御配偶

当時の青山御所として現存する唯一の建物・恩賜館

  • 青山御所が戦災で焼失しており、当時の御所の建築様式を残す、現存する唯一の建物であること。
  • 明治天皇記に英照皇太后と明治天皇・皇后が御中殿(恩賜館)にて御歓談・御祝餞をされた記録がある。
  • 宮内省により明治期に造営された皇室建築物として最も古く稀有である。
  • 英照皇太后の由緒建物として貴重。
  • 欄間、窓枠の漆建具、床の間など明治の皇室建物としての特徴が顕著。
  • 内大臣官舎は戦災で焼失、番町一号官舎(恩賜館)が遺構として残った。

恩賜館が市川市の広報番組に取り上げられました(YouTube 03:16から)
市川市の広報番組「マイタウンいちかわ」の「市川の建物を巡る」(J:COMで2018/5/19~25放送)より。

タマサキツヅラフジ

結核の治療といえば、「大気・安静・栄養」以外で治療といえるものはほとんどなく、国民病と恐れられていました。そんな時代に、「タマサキツヅラフジ」(ツヅラフジ科・台湾原産、標高700m前後の高地に自生する防己科植物)の根から抽出精製した「セファランチン」が結核菌に有効であることが発見され、結核に対する化学療法が確立されました。

この研究をさらに進めるために昭和14年に設立されたのが、化学療法研究会研究所です。
研究所の意匠はタマサキツヅラフジがモチーフになっていました。

さらに臨床を進めるために研究所附属病院が開設され、伝統と知見を受け継ぎ、現在の国際医療福祉大学市川病院に至っています。

タマサキツヅラフジ

研究所の意匠